15年追いかけてきたロックミュージカル創りの日々を振り返るロックミュージカルストーリー!
お時間ある時に読んでください!
NYで偶然見たロックミュージカルに全身鳥肌がたった、2001年9月!
僕は24歳。その瞬間にこの先、ずっと追いかけることになる、
日本で最高のロックミュージカルを作るという夢が生まれました。
そして、ミュージカルの最高の音楽を作ってくれる仲間と出会おう!と心に
決めて、演劇ばかりやっていた僕は、音楽イベントを主催する事を決意!
2002年6月10日、初の主催イベント「乱痴気ナイトIN東京」を
新宿リキッドルームで開催する事が大決定!
と、ここまではトントン拍子で進みました。
絶好調で無敵。まさに怖い物知らず。勢いだけで突き進みました。
しかし、ふと、立ち止まった時、思ったのです。
・・・やべえ・・会場がデカすぎる・・・
初のイベント主催で会場が800名収容は大きすぎる。
会場費だけでも、100万近くかかってしまい、勢いだけで何とかなるもんじゃない。
「お前は何がしたいの?バンドと出逢いたいなら、普通にライブハウスとか行けば?」
演劇の先輩は、当たり前のことを当たり前のように言います。
一転、弱気になった僕もそう思いました。こんなことしなくても音楽やってる人と出逢う方法は無限にある。僕は先輩に言いました。
「そぅですね!目が覚めました!イベントキャンセルして、もう一度考えます!」
次の日、ライブハウスに電話しました。
「イベントキャンセルしたいんですが。」
「キャンセル費が50%で、50万かかりますがよろしいでしょうか?」
「・・・・・・・・」
次の日、先輩に聞かれました。
「おう、どうだった?キャンセルできた?」
「俺、良く考えたんですけど、やっぱり、あきらめたくないんですよね。」
「・・・・・・は?」
「やっぱり、一度やるって言ったのに、やめるのは、カッコ悪いと思うんですよ。」
「カッコいいとか、カッコ悪いとか、言ってる場合か?」
「俺は大事だと思います。これ、生き方の問題なんで。」
もちろん、単純に、50万払えないだけです。
もう、これでやるしかなくなりました。
そこからはあまり覚えていません。
何だか、たくさんの人に、怒られた気がします。
あまりに無知。あまりに無謀。
後は、誰に頭を下げればいいんだろう?そんな事ばかり思っているうちに、
あっというまにイベント当日がやってきました。
当日のリハーサル時、ある事務所のマネージャーさんにロビーで猛烈に
怒られました。タイムスケジュールもない、機材もない、これでライブができるのかと。
「これ文化祭ですか?そのレベルですよ。」
言い返すも何もありません。とにかく頭を下げ続けました。
俺何やってんだろう。。。
悔しくて悔しくて。。。
7階のライブハウスから、涙をこらえて、エレベーターで一階まで降りました。
やらなきゃよかった。俺、ミュージカルとか、夢なんて持たなきゃよかったんだ。
しかし、その後、目の前に広がった光景が僕を救ってくれました。
一階に着いて、ドアが開きました。
その瞬間目に入ったのは、今日のイベントに来てくれてエレベーター待ちをしている人、人、人・・・
その時、思ったのです。
俺、夢あって良かった。ミュージカルできるぞ。夢に近づいてるぞって。
結局、イベントは800人超満員。大成功で幕を閉じました。
全てが終わり、片づけをしている僕に、さっき怒ったマネージャーさんが近づいてきて、
こう言いました。
「お疲れ様でした。大人の文化祭でしたね。」
そう言ってくれました。
そして共にイベントスタッフとして支えてくれたCHO-1(チョーイチ)さんが、
その後の運命を変える一言を言ってくれたのです。
「たけし、これから一緒に、音楽と芝居のコラボレーションイベントをやってみない?
たけしが朗読してさ、バンドがライブしたら面白くない?」
・・・バンドと一緒に作品を作る????
それって・・・それって・・・俺のやりたい、ロックミュージカルじゃないですか!!!
「やります!」
僕は即答しました。
そして、それから2年後、2004年5月。CHO-1さんのイベントをきっかけに、
僕はFUNKISTに出逢うことになるのでした。
<続く>